「葵上」

5年ぶりに能をたてました。前回(2008年)は「杜若」の精で、いわゆる「業平もの」といわれる華やかで色気のある演目でしたが、今回は「源氏物語」を素材とした能で、光源氏の正妻、葵の上(もしくは紫の上)に祟る「六条御息所」の怨霊の主役(シテ)を務めました。葵上や紫上を(男にとって都合の良い)表のヒロインとするならば、六条御息所は影のヒロイン。彼女を通して、昔も今も「男社会」の中で不当に扱われてきた女性の恨みを切々と語ります。ちょっと重い内容ですが、構成的には「静と動」、「聖と邪」などの対立軸が多く、面白く、飽きさせない能です。

日時 2013年11月4日(月・祝日) 
場所 東京都新宿区矢来町60 矢来能楽堂
演能時間 約1時間5分 
番組表 ここをクリックしてください。
あらすじ
左大臣の息女、葵上は物の怪につかれ重い病に臥せっている。様々に祈祷をするがその正体がわからないので、照日の神子(てるひのみこ)を招いて、梓弓で占わせる。すると六条御息所の怨霊が現れ(照日の神子にしか見えない)、皇太子妃としての華やかな時代を回想し、また、(葵祭での車争いでの)恨みを述べる。そして、恨みは昂じ、葵上(舞台上に置かれた小袖で表象)を打ち据え、取り付く。
左大臣の臣下は横川の小聖(行者)を招き、怨霊払いの祈祷を行わさせる。すると、六条御息所の怨霊が鬼神の姿で現れ、法力で調伏しようとする行者と激しく争う。しかし、しかし、最後には怨霊は法力に敗れ、再び現れないと誓い、成仏する。
解説
下本となっているのは「源氏物語」の「葵」(第9帖)ですが、実際は六条御息所の死霊が現れる「若菜下」(第35帖)との合成だと思われます(その根拠については、ここをクリックしてください)。また、詞章の内容からみて「若菜下」の方から多くのモチーフが取られているようです。
「源氏物語」ではいずれも光源氏の正妻(葵上、紫上)が病気で臥せっているときに六条御息所が現れ、枕辺で看病している光源氏に対して恨み言をいうのですが、能「葵上」では、本来の主人公、光源氏の姿はなく、怨霊が直接、葵上・紫上に恨みや怒りを向けています。本来、責められるべき男が安全地帯に身を置き、女同士の争いを高みから見物している…。源氏物語と能のこの落差はどこから来たのでしょうか。

(平安の怨霊、室町の鬼神)
「源氏物語」が成立した西暦1000年前後は、平安宮廷では(政治上の道具でもあったが)貴族女性の社会的地位は高く、家政担当や教育担当のいわゆるキャリア女性も多くいました。恋愛に対しても主体的な行動をとる女性(例えば、朧月夜)も多く、処女性もそれほど厳格に求められていませんでした。それは、まだ母系制(女系相続、例えば、葵上や六条御息所は邸宅を相続し、荘園などを所有)が色濃く残っており、女性が自己の財産や収入を持っていたためです。また、自分の娘が生んだ子は「確実」に自分の血(遺伝子)が流れていると確信できますが、息子の子は(通い婚で、女が他の男と通じる可能性あり-例えば、女三宮と柏木)自分の血が流れているかどうか不確実だからです。
しかし、武士権力になると、戦闘員として男子の重要性は高まり、戦闘集団の統率のため男性長子へ(戦闘により獲得した)財産が相続されます。そうなると、女が生んだ子が自分の子供であることを確実にするため、女の拘束(夫居制や貞節強要)が行われるようになります。男性長子を生む正妻の座は強化されましたが、そうでない場合は簡単に離婚させられたり(「嫁して三年 子なきは去る」)別の女を迎えるようになります。こうなると、椅子取りゲームではないですが、妻の座を巡って女同士の確執(嫉妬や恨み)が発生します。400年後の室町武家権力下では、こうした構造で、「六条御息所」の怨霊は般若面の鬼神となり、正妻に対して恨みを述べることになった訳です。同様の構造は、自分を捨てて別な女と結婚した薄情男を鬼神になって呪い殺そうとする能「鉄輪」にも見られます。そして男は無傷のまま、この制度の陰に隠れ、今に至るまで男優先社会を確保しているわけです。

(ドラマチックな展開)
「葵上」には様々な対立軸が組み込まれています。そうした対立軸が交差する時、ドラマが生まれます。たとえば、
静と動 舞台にツレ(照日の神子)とワキツレ(大臣の臣下)が登場し、正先(階段のところ)に病床の葵上を象徴する小袖が置かれます。
前半は、シテ(六条御息所)が登場し、辛い心のうちや昔のよき日を述懐し、怨みをいうために怨霊となって現れてきたと語ります。ほぼ、シテの独吟で、動きはほとんどありません。
しかし、シテが小袖を打ち据えて以降は、急展開。般若の面をつけた後半(後シテ)は、修羅の舞のような戦いとなります。
正と悪
(聖と邪)
嫉妬や執心は物の怪の原因になると考えられ、仏法によって退散させられるべきものでした。役行者のように力のある僧が悪魔退散を行いました。横川の行者と六条御息所の怨霊の戦いも、正義と邪悪の戦いですが、最後は通俗ドラマのように正義が勝つことになります。ただし、この「正義」は男に都合のよい正義であることは疑いありません。
高貴と卑賤 六条御息所は前皇太子妃ですので、高貴な身分ですし、「源氏物語」では歌も奥ゆかしく、文字も上手で、そのうえ、庭の前栽も趣味が良いと高い評価を受けている女性です。光源氏はあこがれつつも少し近寄りがたいと感じていました。それが能「葵上」では、ねたみ、嫉妬に狂わせ、そして、男(源氏)との同衾の願望まで口にさせて、卑しい庶民の女と同列まで引きずり落しています。まるで週刊誌ネタのセレブです。六条御息所を卑しくせず、その思いを演ずるにはどうしたらよいか…この曲の最大の難所です。
   
使う能面のイメージ
(前シテで使う泥眼)(後シテの般若)
       (実際は異なります)  国立能楽堂HPより拝借
演者の想い
「葵上」を取り上げたのは・・・
2年前、「(人生で)何もできなかった」という言葉を残して母は昇天しました。大正最後の年に9人兄弟の長女として生まれた母は、子供時代は弟妹の世話に追われ、長じて看護師になったものの空襲で身一つで焼け出され、田舎に帰り結婚したものの姑の仕打ちや夫の無理解に悩み、医療過誤で娘を失い、そして交通事故で半身不随に。そんな辛苦を嘗めてきましたが、和裁師範を取得するなど、前向きに生きてきました。でも、やりたいことがあったはず。それが戦争や因習など-男どもが作り出した愚行や規範のためにことごとく妨げられた…そんな悔しさを「六条御息所」を借りて、少しでも晴らしてやりたい、と思ったためです。また、一人でも多くの女性が、母が味わった悔しさを味わなくてすむよう、男優先社会に異議を唱え、真の男女平等を勝ち取ろうと活動している方々への応援歌になることを願っています。

このため・・・
能「葵上」では六条御息所の怨みは葵上に対するものですが、私は、(枕元にいるはずの姿の見えない)源氏(男社会)を浮き出し、怨念のつぶてを投げつける形で演じたいと考えています。また、最後は仏力で「成仏」する筋書きなっていますが、(男社会に屈服する)形で終わらせたくないので、一見屈服したように見せながらも、「怨嗟は決して消えない」との思いを伝えるため、最後に(流派の型にはない)「葵の上の表象である小袖を睨む」所作を入れました。もちろん、葵上を睨んだのでなく、その傍らにいる源氏=男社会を睨んだつもりですが、ただ、どこまで技量が追い付いてくれたことやら…。
   

謡曲 詞章

登場人物 シテ-六条御息所の怨霊、ツレ-照日の神子(てるひのみこ)、
ワキ-横川の小聖(行者)、ワキツレ-左大臣の臣下、アイ-左大臣臣下の下人

 
(ツレ、ワキツレが登場し、それぞれの座に就く)
ワキツレ これは朱雀院に仕え奉る臣下なり。さても左大臣のおん息女、葵上のおん物の気、以(もっ)ての外にござ候程に、貴僧高僧を請(しょう)じ、大法秘法医療さまざまのおん事にてござ候へども 更にその験(しるし)なし。ここに照日の神子と申して、まさしき梓(あずさ)の上手の候を召し、生霊死霊のさかいを梓に掛けさせ申さばやと存じ候。やがて梓におんかけ候え。
ツレ 天清浄、地清浄、内外清浄(ないげしょうじょう)、六根清浄。より人は今ぞ寄りくる長浜の芦毛(あしげ)の駒に手綱ゆりかけ。

(シテが幕より出る)

(出はいつも緊張します)
シテ 三つの車に法(のり)の道、火宅の門(かど)をや出でぬらん。夕がおの宿の破車(やれぐるま)、やるかたなきこそ、かなしけれ。
(シオリ(泣くこと)のあと、舞台に入る)
これが初めての泣き、この後何度も泣きます)

浮世は牛の小車の、浮世は牛の小車の、めぐるやむくいなるらん。(地取り)
およそ輪廻(りんね)は車の輪のごとく、六趣四生(ろくしゅししょう)を出でやらず。人間の不定、芭蕉、泡沫の世の習い。昨日の花は今日の夢と、驚かぬこそおろかなれ。
身の憂(う)きに人の恨みのなほそいて、忘れもやらぬわが思い、せめてや暫(しば)し慰むと、梓の弓に怨霊の、これまで現れ出でたるなり。

やら、恥かしや今とても、忍(しの)び車のわが姿。
月をば眺め明かすとも、月をば眺め明かすとも、月には見えじかげろふの、梓の弓のうらはずに、立ちより憂きを語らん、立ちより憂きを語らん。梓の弓の音はいずくぞ、梓の弓の音はいずくぞ。
ツレ 東屋(あずまや)の母屋(もや)の妻戸(つまど)にいたれども
シテ 姿なければ問う人もなし。
(ツレに向かって)
ツレ ふしぎやな誰とも知らぬ上臈(じょうろう)の、破(やぶ)れ車に召されたるに、青女房と思しき人の、牛もなき車の轅(ながえ)にとりつき、さめざめと泣き給ふ、いたわしさよ。もしかやうの人にてもや候ふらん。
ワキツレ 大かたは推量申して候。唯つつまず実直(まっすぐ)におん名のり候へ。
シテ それ娑婆電光(しゃばでんこう)のさかいには、恨むべき人もなく、悲しむべき身もあらざるに、いつさてうかれ、そめぬらん。
唯今梓の弓の音に、引かれて現れ出でたるをば、いかなる者とかおぼしめす。これは六条の御息所の怨霊なり。
われ世にありしいにしへは、雲上(うんしょう)の花の宴、春の朝(あした)の御遊(ぎょゆう)に馴れ、仙洞(せんとう)の紅葉(もみじ)の、秋の夜は、月にたわむれ、色香(いろか)にそみ、はなやかなりし身なれども、衰へぬれば、朝顔の日影まつ間の有様(ありさま)なり。唯いつとなきわが心、もの憂き野辺の早蕨(さわらび)の、萌え出でそめし思の露。かかる恨みをはらさんとて、これまで現れ出でたる

地謡 なり。思ひ知らずや世の中の、情(なさけ)は人の為ならず。
われ人の為つらければ、我人の為つらければ、必ず身にも報ふなり。
何を歎くぞ葛の葉の、恨みはさらに尽きすまじ。

(小袖をじっと睨んで…)
シテ あら恨めしや、やぁ。今は打たでは叶ひ候ふまじ。
ツレ あら、浅ましや六条の、御息所程のおん身にて、うわなり打ちのおん振舞(ぷるまい)、いかでさる事候べき。ただおぼし召し、とまりたまえ。
シテ いやいかに思うとも、今は打たでは叶ふまじと、枕に立ち寄りちやうど打てば

(前半のハイライトの一つ。扇で小袖を打ち据えます)
ツレ この上はとて立ち寄りて、わらははあとにて苦をみする。
シテ 今の恨みはありし報い
ツレ 嗔恚(しんに)のほむらは
シテ 身をこがす。
ツレ 思い知らずや。
シテ 思ひ知れ!
地謡 恨めしの心や。あら恨めしの心や。人の恨みの深くして、うきねに泣かせ給ふとも、生きてこの世にましまさば、水くらき沢辺の蛍(ほたる)の影よりも、光る君とぞ契らん。
シテ わらわは蓬生(えもぎゅう)の
地謡 もとあらざりし身となりて、葉末の露と消えもせば、それさへことに恨めしや。
夢にだに、かへらぬものをわが契(ちぎ)り、昔語(むかしがたり)になりぬれば、なほも思は増鏡(ますかがみ)。その面影もはずかしや。枕に立てる破車(やれぐるま)、うち乗せ隠れゆこうよ、うち乗せ隠れゆこうよ。


(小袖の上に覆いかぶさる)
(シテは後見座で物着)
ワキツレ いかに誰かある。汝(なんじ)は横川(よかわ)にのぼり、小聖へ参り、おん加持の為にて候、急ぎおん参りあれと、申し候え。
(ワキツレとアイでやり取り)
ワキ 九識の窓の前、十乗の床のほとりに、瑜伽(ゆが)の法水を湛(たた)え、三密(さんみつ)の月をすますところに、案内申さんとは、いかなる者ぞ。
(ワキツレとアイでやり取り)
ワキ 別行(べつぎょう)の子細候へども、大臣(おとど)よりと承り候間、参じて候。
さて病者はいずくにござ候ぞ。
ワキツレ あれなる大床(おおゆか)にござ候。
ワキ これはもってのほかの邪気と見えて候。
ワキツレ やがて急ぎおん加持あってたまわり候え。
ワキ 行者は加持に参らんと、役(えん)の行者の跡をつぎ、胎金両部(たいこんりょうぶ)の峯をわけ、七宝(しっぽう)の露を払ひし篠懸(すずかけ)に、不浄を隔つる忍辱(にんにく)の袈裟(けさ)、赤木の珠数のいらたかを、さらり、さらりと押しもんで、一祈こそ祈つたれ。
東方に降三世(ごうざんぜ)明王、なまくさまんだばさらだ。

(後シテ、般若に変身しています)
(祈りの舞)


シテ いかに行者、早や帰りたまへ。帰らで不覚(ふかく)したまうなよ。

ワキ 東方に降三世明王。
シテ 南方軍荼利夜叉(なんぽうぐんだりやしゃ)。
地謡 西方大威徳明王(さいほうだいいとくみょうおう)。
シテ 北方金剛(ほっぽうこんごう)
地謡 夜叉明王。
シテ 中央大聖。
地謡 不動明王。なまくさまんだばさらだ。せんだまかろしやな。そはたやうんたらたかんまん。聴我説者(ちょうがせっしゃ)得大智慧(とくだいちえ)
知我身者(ちがしんしゃ)即身成仏。

(般若は打ち負けます)
シテ やらやら恐ろしの般若声や。
地謡 これまでぞ怨霊、この後又も来るまじ。
読誦(どくじゅ)の声を聞く時は、読誦の声を聞く時は、悪鬼心を和らげ 忍辱慈悲(にんにくじひ)の姿にて、菩薩もここに来現(らいげん)す。
成仏得脱(じょうぶつとくだん)の身となり行くぞ、ありがたき。身となり行くぞ、ありがたき。

(本来ならこれでメデタシ、メデタシで終わるのですが…)

(男の都合よくさせてなるものかと…傍らにいるはずの源氏=男社会を睨み付けます)