「山姥(やまんば)」

あらすじ
都で山姥の曲舞(くせまい)を謡って人気を博した遊女・百魔山姥(ひゃくまやまんば)が親の13回忌供養のため、従者を伴って信濃の善光寺参詣に出かける。越中(富山県)と越後(新潟県)の国境から親不知を避けて、上路越の山道に入ると、急に日が暮れる。一行が途方に暮れていると女が現れ、一夜の宿を貸そうと申し出る。そして、その代わりに曲舞を謡って聞かせろと所望する。問答するうち、女は徐々に自分の本性は山姥であることを現し、自分のお陰で有名になったのにすこしも気にかけてくれないと恨み言を言う。そして月の出る夜半に曲舞を謡ってくれれば、本当の姿を見せてやろうといって、消え失せる。
   (中入)
一行を案内してきた在所のものが土地の話や山姥の出自を面白く語り、百魔山姥が約束通り曲舞を謡い始めると、杖を突いた山姥が現れる。山姥は自分が住む山や渓谷の様子を語り、昔貴人と行き会った経緯を話す。また輪廻から逃れられない苦しみを吐露する。そして、曲舞に合わせて舞い始める。舞が終わると、名残を惜しみつつ、暇乞いをして四季の山巡りの様子を見せ、峰を翔り、谷に声を響かせたかと思うと、いずこへか消えてしまう。

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登場人物 前シテ-山棲の女、後シテ-鬼女、ツレ-百魔山姥
ワキ-従者、ワキツレ-従者、アイ-在所のもの

 
(ツレ、ワキ、ワキツレ、アイが登場し、舞台へ入る。ツレは脇柱の前で座る。ワキとワキツレは道行を語る)
ワキ
ワキツレ
善き光ぞと影頼む。善き光ぞと影頼む仏のみ寺尋ねん。
ワキ これは都がたに住居する者にて候。さてもこれにわたり候おん方は。百魔山姥と隠れなき遊君(ゆうくん)にてござ候。山姥の山めぐりするといふ事を曲舞(くせまい)に作り、おん謡い候により京童(わらんべ)のつけ申したる異名にてわたり候。
また当年はおん親の十三年に当らせたまいて候ほどに、善光寺へおん参りありたきよし仰せ間、われらおん供申し、ただ今信濃の国へと急ぎ候。
ワキ
ワキツレ
(以下の詞章は時間の関係で省略されます)
都を出でてさざ波や。志賀の浦舟こがれ行く、末は荒乳(あらち)の山越えて、袖に露散る玉江の橋、かけて末ある越路の旅、思ひやるこそ遥かなれ。こずえ波立つ塩越の、梢波立つ塩越の、安宅の松の夕煙。消えぬ憂き身の罪を切る弥陀の剣の砺波山。雲路うながす三越路(みこしじ)の、国の末なる里問えば、いとど都は遠ざかる。境川にも着きにけり。境川にも着きにけり。
ワキ おん急ぎ候ほどにこれははや、越後と越中の境川におん着きにて候。これより道あまたあるよし申し候ほどに。在所の者に尋(たず)にょうずるにて候。
(ツレ・ワキツレは脇座下に座り、ワキは橋掛リのアイと問答。戻ってツレにその内容を伝える)
ワキ いかに申し候。善光寺への路次(ろし)の様体を尋ね申して候えば、これより道二つあるよし申し候。中にも上路越(あげろごえ)と申す道の候。これは己身(こしん)の弥陀唯心の浄土にたとえられたる道にて候。さりながらおん乗物はかなわぬよし申し候。
ツレ げにや常に承る。西方の浄土は十万億土とかや。ここはまた弥陀来迎の直路(ちょくろ)なれば、上路の山とやらんに参り候ベし。とても修行の旅なれば乗物をこれに留めおき、徒歩(かち)はだしにて参り候べし。道しるべしてたび候え。
(ワキ、再びアイと問答の後、ツレの元へ戻る)
ワキ やがておん立ちあろうずるにて候。
あらふしぎや。いまだ暮れまじき日にて候が、俄(にわか)にくれて候はいかに。
 (ワキ、アイ問答、唐織着流姿の里女(シテ)が幕の内から声を掛ける)
シテ のうのう、お宿参らしようのう。
アイ ヤ、お宿参らしょうと申し候。
シテ これは上路の山とて人里遠き所なり。お宿参らせ候わん。
ワキ これは都より、初めて善光寺へ参る者にて候が、にわかに日の暮れ前後を忘(ぼう)じて候所に、嬉しくも承り候ものかな。さらばこう参り候。
 (シテ、舞台に入り、シテは床几に腰かけ、一行は下に座る)
       
シテ 今宵(こよい)のお宿参らする事、とりわき思う子細あり。承りおよびたる山姥の歌の一節謡て聞かさせたまえ。鄙(ひな)の思い出と思うべし。
(シテ、正面へねじ向く)
そのためにこそ日を暮らし、お宿をも参らせて候え。
(シテ、脇の方を向く)
いかさまにても謡わせたまえ。
ワキ これは思いもよらね事を承り候ものかな。さて誰(たれ)とご覧ぜられて山姥の、歌の一節とはご所望候ぞ。
シテ いや何をか包ませたもうらん。
(脇柱の方へねじ、ツレを見る。さらに正面にねじ、独り言をいう)
あれにましますは百魔山姥にてはさむらわずや。まずこの歌の次第とやらんに、よしあしびきの山姥が、山めぐりすると作られたり。あら面白や候。
(ワキへ向く)
このおん名は、曲舞によりての異名にてわたらせたもう。さてまことの山姥をば何とかろしめされて候ぞ
ワキ まことの山姥は山に住む鬼女とこそ、曲舞には見えて候え。
シテ 山に住む鬼女とは女の鬼とや。よし鬼なりとも人なりとも。山に住む女ならばわらわが身の上にてはさむらわずや。
(ツレへ向く)年頃色には出ださせたもう、言葉の草の露ほどもおん心にかけたまわぬ。怨み申しに参りたり。
(正面へ向く)道を極め名を立てて、世情万徳(せじょうばんとく)の妙果(みょうか)を開く事、この一曲の故(ゆえ)ならずや。しからばわらわが名をもとむらい、舞歌音楽の妙文(みょうもん)の声、仏事をもなしたまわば、などかわらわも輪廻を離れて、帰性(きしょう)の善所に至らざらんと、(ツレへ向く)怨みを夕山(いうやま)の鳥獣(とりけだもの)も鳴きそえて、声を上路の山姥が霊鬼これまで来たりたり。
ツレ ふしぎの事を聞くものかな。さてはまことの山姥の、これまで来たりたまえるか。
シテ われ国々の山めぐりに、今日しもここに廻り会う事、わが名の徳を聞かんためなり。謡いたまいてさりとては、わが妄執(もうしゅう)を晴らしたまえ。
ツレ このうえはとかく辞しなば恐ろしや。もし身のためや悪しかりなんと、はばかりながら時の調子をとるや拍子を進むれば。
シテ しばさせまえ、とてもさらば。暮るるを待ちて月の夜声に、謡いたまわばわれもまた、まことの姿を現すべし。すわやかげろうタ月の。さなきだに暮るるを急ぐ深山辺(みやまべ)の。
(シテは立ち上がり、ツレに向き会う)

地謡 暮るるを急ぐ深山辺の。雲に心をかけ添えて、その山姥が一節を夜すがら謡いたまわば、その時わが姿をも現し、衣(きぬ)の袖つぎて、移舞(うつりまい)を舞うべしと、いうかと見ればそのまま、かき消すように失せにけり。かき消すように失せにけり。(シテは正面から右へ行き、シテ柱前で正面へヒラキをし、シテ柱脇から橋掛へ出て、幕に入る)
 
(シテ、中入り。アイが舞台に出て、山姥の成り立ちについて語り、狂言座に退く。やがてワキはツレに曲舞を謡うよう促す)
ツレ あまりの事のふしぎさに、さらにまことと思ほえね。鬼女が言葉を違えじと。
ワキ 松風ともに吹く笛の。
ワキツレ 松風ともに吹く笛の。
ワキ
ワキツレ
声澄みわたる谷川に、手まず遮(さえぎ)る曲水の、月に声すむ深山かな。月に声すむ深山かな。
(「一声」囃子が鳴り、鹿背杖をついた山姥(後シテ)が登場。橋掛に出て謡う)
シテ あらものすごの深谷やな。あらものすごの深谷やな。寒林(かんりん)に骨を打つ。霊鬼泣く泣く前生(ぜんじょう)の業(ごう)を恨み、深野(じんや)に花を供(くう)ずる天人、かえすがえす帰性の善を喜ぶ。いや、まこと。善悪不二(ぜんなくふに)。何をか恨み、何をか喜ばん。万箇(ばんこ)目前の境界。懸河(けんか)びょうびょうとして、巌(いわお)峨峨(がが)たり。山また山。いずれの工(たくみ)か青岩(せいがん)の形を削りなせる。水また水。誰が家にか碧潭(へきたん)の色を染め出だせる
ツレ 恐ろしや。さももの凄き宵の問の、月も木深(こぶか)き山陰より、その様化(さまけ)したる顔ばせは、いかさま先に聞えつる、その山姥にてましますか。
シテ とてもはや穂に出で初(そめ)し言の葉の、気色(けしき)にも知ろしめさるべし。われにな恐れたまいそとよ。
ツレ この上は恐ろしながら烏羽玉(んばたま)の暗まぎれより現れいずる、姿言葉は人なれども。
シテ 髪にはおどろの雪を頂き、
ツレ 眼(まなこ)の光は星のごとく、
シテ さって、面(おもて)の色は、
ツレ 狭丹(さに)塗りの、
シテ 軒の瓦の鬼の形。
ツレ 今宵始めて見ることを、
シテ 何に譬(たと)えん、夕月の。
地謡 鬼一口の雨の夜に。鬼一口の雨の夜に。雷さわぎ、恐ろしき。その夜を思い白玉か。何ぞといいし人までも、わが身の上になりぬべき。浮世語りも恥ずかしや。浮世語りも恥ずかしや。
シテ 春の夜の一時(ひととき)を千金(せんきん)にもかえじとは、花に清香(せいきょう)月に影。これは思いのたまさかに、ゆき会う人の歌の一節。その一刻もあたら夜に、はやはや謡いたもうべし。
ツレ げにこのよはともかくも。いうに及ばぬ山中に。
シテ 一声(いっせい)の山鳥、羽をたたく。
ツレ 鼓は滝波、
シテ 袖は白妙(しろたえ)、
ツレ 雪をめぐらす木(こ)の花の、
シテ なにわの事か、
ツレ 法(のり)、
シテ ならぬ。
地謡 よしあしびきの山姥が。よしあしびきの山姥が山めぐりするぞ苦しき。
シテ それ山といっぱ塵土(ちりひじ)より起って、
地謡 天雲かかる千丈(せんじょう)の峰。
シテ 海は苔(こけ)の露よりしただりて、
地謡 波涛(はとう)をたたむ、万水(ばんすい)たり。
シテ 一洞(いっとう)むなしき谷の声。梢(こずえ)にひびく山彦の、
地謡 無声音(むしょうおん)を聞くたよりとなり、声にひびかね谷もがなと、望みしもげにかくやらん。
シテ ことにわが住む山家(さんか)の景色、山高うして海近く。谷深うして、水遠し。
地謡 前には海水じようじようとして月真如の光をかかげ、後には嶺松(れいしょう)巍巍(ぎぎ)として、風常楽(じょうらく)の夢をやぶる。
遠近(おちこち)のたつぎも知らね山中に、おぼつかなくも呼子(よぶこ)鳥の声すごきおりおりは、伐木(はつぼく)とうとうどして、山さらにかすかなり。法性(ほっしょう)峰そびえては、上救菩提(じょうぐぼだい)を現し、無明谷深きよそおいは、下化衆生(げけしゅじょう)を表して、金輪際に及べり。

(シテ床几から立ち、クセを舞う)
地謡 そもそも山姥は生所(しょうじょ)も知らず宿もなく、ただ雲水を便りにて。至らね山の奥もなし。
シテ しかれば人間にあらずとて、
地謡 隔つる雲の身を変え、かりに自性(じしょう)を変化して、一念化生(けしょう)の鬼女となって目前に来たれども、邪正一如(じゃしょういちにょ)と見る時は、色即是空そのままに、仏法あれば世法あり。煩悩あれば菩提あり。仏あれば衆生あり。衆生あれば山姥もあり。柳は緑、花は紅(くれない)の色色。さて人間に遊ぶこと。ある時は山賎(やまがつ)の樵路(しょうろ)に通う花の陰、休む重荷に肩を貸し、月もろともに山を出で里まで送るおりもあり。またある時は織姫の五百機(いおはた)たつる窓に入って。枝の鶯(うぐいす)糸繰り、紡績(ぼうせき)の宿に身を置き、人を助くる業をのみ。賎(しず)の自に見えね鬼とや人の見るらん。
シテ 世を空蝉(うつせみ)のから衣。
地謡 払わね袖におく霜は夜寒(よさむ)の月に埋もれ、うちすさむ人の絶え間にも千声万声(せんせいばんせい)の砧(きぬた)に声のしで打つは、ただ山姥が業(わざ)なれや。都に帰りて、夜語りにせさせたまえと、思うはなおも妄執か。ただ打ち捨てよ何事も、よしあしびきの山姥が山めぐりするぞ苦しき。
シテ あしびきの、
地謡 山めぐり。
(シテは後見座へ行き、杖に持ち替えて、山めぐりの所作を行う。舞い終えて、シテ柱へ行く
シテ 一樹の陰一河の流れ、みなこれ他生(たしょう)の縁ぞかし。ましてやわが名を夕月の、浮世をわたる一節も、狂言綺語(きょうげんきぎょ)の道すぐに、讃仏乗(さんぶつじょう)の因(いん)ぞかし。あらおん名残惜しや。暇申して帰る山の。(杖を捨て、扇を開く)
地謡 春は梢に咲くかと待ちし、
シテ 花を尋ねて山めぐり、
地謡 秋はさやけさ影を尋ねて、
シテ 月見るかたにと山めぐり、
地謡 冬は冴えゆく時雨の雲の、
シテ 雪をさそいて山めぐり。
地謡 めぐりめぐりて輪廻を離れぬ妄執の雲の、
シテ 塵積って、山姥となれる。
地謡 鬼女が有様(ありさま)見るや見るやと、峰にかけり、谷にひびきて、今までここにあるよと見えしが山また山に、山めぐり。山また山に、山めぐりして、ゆくえも知らずなりにけり。
(シテ、留足を踏み、橋掛を帰り、幕へ入る) 


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2022.6.15 upload


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