能「経政」を上演

2002年7月から金春流シテ方若手能楽師 山井綱雄師に師事して能・謡曲を習ってきましたが、2007年9月16日開催の綱雄会(矢来能楽堂)で、能「経政」を披き(初めて演ずる)ました。

あらすじ

平清盛の弟、経盛には3人の男子があり、その長男の経政は幼少の頃から、仁和寺門跡の覚性法親王に仕えて、可愛がられてきた。勅旨として宇佐八幡宮に参詣する際、天皇が所持していた琵琶「青山」を賜り、宇佐神宮の社殿前で奏したこともあった。平家の都落ちの際、別れを告げるため仁和寺を訪れ、賜っていた「青山」を返し、一門と合流するために須磨一の谷に向かう。このとき、幼友達の僧行慶は桂川まで見送る。寿永3年(1184年)2月7日、一ノ谷の戦いにおいて、河越重房の手勢に討ち取られた。(青葉の笛で有名な平敦盛は経政の弟で、一の谷で熊谷直実に討ち取られる)
能はここから始まります。

親王の命で、行慶が管弦講で法事をしていると琵琶の音を聞きつけて経政の亡霊が現れる。昔を懐かしみ親王の寵愛に礼を述べ、手向けとしておかれた「青山」を取り上げて秘曲をかき鳴らす。そうこうする内、修羅道からの怒りの炎が経政を襲うと、あられもない様子で戦場のありさまを語り、戦いの様子を演じて見せる。そしてこの姿を恥じた経政は法事の場を照らす蝋燭の火を吹き消して闇に消えてゆく。

  「第一第二の絃は、さくさくとして秋の風、松を払って・・・
          琵琶を弾く形(琵琶の型) →
           
解説

この能は「修羅物」といわれ、一般には戦いに敗れた武士が亡霊となって現れ、戦いの様子を語り、演じた後で、僧に後生を弔い成仏させて欲しいと頼んで消える、筋書きの能です。「敦盛」「八島」など多数あり、「勝修羅」と「負修羅」があります。
この「経政」は通常の「負修羅」と少し異なり、余り恨み辛みを述べておらず、また死んだ一の谷でなく、わざわざ法事をしている京都まで出向いて現れています。琵琶に執心するものの成仏を頼んではいません。洗練された都会派センスいっぱいの平家の公達の面目躍如です。

この能のもう一人の主役は琵琶です。この「青山」の他に「玄象」と「獅子丸」という琵琶があり、いずれも村上天皇の時世に唐よりもたらされた物ですが、唐の琵琶博士の亡霊が夜中清涼殿に現れ、「青山」で秘曲を弾いたことから、誰も弾かなくなったため村上天皇が仁和寺に贈りました。経政が仁和寺に仕えている時に、この琵琶の使用を許可され、見事に弾きこなしました。
なお「獅子丸」は、渡来途中で竜神によって海底に沈められますが、村上天皇の霊により取り戻され、琵琶の名手であった藤原師長に下賜されます(能「絃上」)。


正倉院の螺鈿の琵琶
見どころ・聞きどころ・苦労どころ

見どころは、30分過ぎくらいから
シテ「いや、雨にてはなかりけり・・・」で始まる舞。終わるまでの15分間走り回ったり、刀を振り回したり、大活躍です。(面の内は大汗です)

聞きどころは2つ。
まずシテが登場して「あ〜ら、おもしろの琵琶の音やぁ〜」と謡うところと、15分ごろシテ「さても我、宮中にそうらいて・・・」で始まり、地謡の「今もひかるる心ゆえ・・・(中略)・・・心に残る花もなし」まで。(この間、15分、シテはほとんど動きませんが、足が大変痛い状態です)

苦労どころ
この能は通常、能楽師の卵たちが10〜15歳で初演する演目です。経政の親の歳以上の私どれだけ若々しさ、初々しさを出せるか・・・「実盛」の心意気で勤めました。

なお、使う面は「冠型童子」です。笑窪がついています。

「灯火を吹き消して・・・」
ワキ これは北山仁和寺御室の御所に仕え申す、大納言の僧都行慶(ぎょうけい)にて候。さても但馬の守経政は、幼少の頃より御室に召しおかれ、さながら奉公のごとくござ候いしほどに、君も不愍(ふびん)におぼし召され候ところに、この度一の谷にて討たれたまいて候間、いろいろ法事をなされ候。また、青山というおん琵琶は、経政存生の時より預けおかれし名物なれば、御室にたて置かれ、糸竹の手向けまでとり行われ候。今日は某(それがし)に仰せつけられて候ほどに、法事をなし申し候。
げにや一樹の陰に宿り、一河の流れを汲む事も、みなこれ他生の縁ぞかし。ましてや多年のおん知遇。恵みを深くかけまくも、かたじけなくも宮中にて法事をなし、法をとなえて平の経政成等正覚(じょうとうしょうがく)と、弔らいたもうありがたさよ。
地謡 ことにまた、かの青山という琵琶を、かの青山という琵琶を、亡者のために手向けつつ、同じく糸竹の声も仏事をなし添えて、日日夜夜の法の門、貴賎の道も遍(あまね)しや、貴賎の道も遍しや。

(地謡が始まると「お幕!」と声をかけて、橋掛りに出ます。一番緊張したところです)

 
シテ あら面白の琵琶の音や。あら面白の琵琶の音や。風枯木(こぼく)を吹けば晴天の雨。月平砂(へいさ)を照らせば夏の夜の霜の起き居も安からで、かりに見えつる草の陰、露の身ながら消えもせぬ、妄執の縁こそはかなけれ。

(ここが聞かせどころ。もう少し詠いたかったなぁ〜)
  (左に知らん顔して座っているのが、後見の山井先生)
 
ワキ はや深更(しんこう)にもなるやらん。夜の灯火かすかなる、光のうちに人影の、あるかなきかに見えたもうは、いかなる人にてましますぞ。
シテ おん弔いのありがたさに、恥ずかしながら経政が幽霊これまで参りたり。
ワキ そも経政の幽霊と、答える方を見んとすれば、また消え消えに形もなくて、
シテ 声はさすがに絶え残って
ワキ 正しく見えつるその姿の
シテ あるかと見れば
ワキ また見えもせで
シテ 有るか
ワキ 無きかに
シテ かげろうの
地謡 まぼろしの常なき世とて経政の、常なき世とて経政の、もとの浮世に帰りきて、それとは名乗れどもその主の、形は見えぬ亡身の、生をこそ隔つれども、われは人を見る物を。げにや呉竹の筧の水は変わるとも、住みあかざりし宮の内に、幻に参りたり、夢幻に参りたり。

(ワキ(僧)は声は聞こえるものの姿が見えないので、他所を向いていて視線が合いません)

 (右奥の地謡前列は同門の方、後列は金春流の先生方)
ワキ 不思議やな経政の来たりたもうかと思えば、形は消え声は残って、言葉をなおもかわすぞや。よし夢なりとも現なりとも、法事の功力成就して、亡者に言葉をかわす事よ。あらふじぎの事やな。
シテ さても我、宮中に候いて、その名を諸人に知られし事、ひとえに君のご恩徳なり。中にも手向けくださるる、青山というおん琵琶、娑婆にてのご許されを被り、常は手馴れし四つの緒に、

(座っているだけで楽なように見えますが・・・この形はとても辛いのです)
           (ビデオから複写)
 
地謡 今もひかるる心ゆえ聞きしに似たる撥音の、これぞ正しく妙音の誓いなるべし。さればかの経政は、さればかの経政は、いまだ若年の昔より外には仁義礼智信の五常を守りつつ、内にはまた、花鳥風月詩歌管弦をもっぱらとし、春秋を松が根の、草の露、水のあわれ世の、心にもるる花もなし、心にもるる花もなし。
ワキ すでにこの夜も夜半楽。声澄みわたる糸竹の、手向けの琵琶を調ぶれば、ふしぎやな晴れつる空かき曇り、にわかに降りくる雨の音、しきりに草木を払いつつ、時の調子もいかならん。
シテ いや、雨にてはなかりけり。あれご覧ぜよ、雲の端の
地謡 月に並の岡の松の、葉風は吹き落ちて、村雨のごとくに音ずれたり。面白やおりからなりけり。大絃はそうそうとして村雨のごとし。さて、小絃はせっせつとして、ささめ言に異ならず。第一第二の絃はさくさくとして秋の風。松を払って疎韻に落つ。第三第四の絃はれいれいとして夜の鶴の、子を思って篭(こ)の内に鳴く。鶏も心して夜遊の別れとどめよ。

(「葉風は吹き落ちて・・・」面をつけていると前が見えません。舞台から落ちるのではという恐怖心)
                         
シテ 一声の鳳管は

 
地謡 秋秦嶺(しんれい)の雲を動かせば、鳳凰もこれをめでて桐竹に飛びくだりて、翼を連ねて舞い遊べば、律呂の声々に、心声に発す。声文(あや)をなす事も、昔を返す舞の袖。衣笠山も近かりき。面白の夜遊や、あら面白の夜遊や

(「秋秦嶺の雲を動かせば・・・」)

 
シテ あら名残惜しの
地謡 夜遊や
(この間に「カケリ」という舞が入る)
シテ あら名残惜しの夜遊やな。たまたま閻浮(えんぶ)の夜遊に帰り、心をのぶるところに、修羅道の苦しみご覧ぜよ。また修羅の瞋恚(しんに)がおこるぞとよ。恨めしや。

(ユウケンという型です。通常は得意や自慢を表しますが、ここでは怒りを表しています)
  
ワキ 先に見えつる人影のなお現わるるは経政か。
シテ あら恥ずかしや瞋恚の有様。はや人々に見えけるか。あのともしびを消したまえとよ。
地謡 灯火をそむけては、灯火をそむけては、ともに憐れむ深夜の月をも、手にとるや帝釈修羅の戦は火を散らして、瞋恚の矢先は雨となって身にかかれば払う剣は他を悩ましわれと身を切る。紅波はかえって猛火(みょうか)となれば、身をやく苦患(くげん)恥ずかしや。人には見えじものを、あの灯火を消さんとて、その見は愚人、夏の虫の火を消さんとて飛び入りて嵐とともに灯火を、嵐とともに灯火を吹き消して暗まぎれより魄霊(はくれい)は失せにけり、魄霊の形は失せにけり。

(最後が「キリ」。5分間走り回ります。「ともに憐れむ深夜の月・・・」で始まる「修羅(シュラ)の型」。太刀を使います)
  


「われと身を切る」(自刃のシーン)                   「火を消さんと飛び入りて」(飛び込みました)
  

(「嵐とともに灯火を吹き消して・・・・」最後に大きく扇を使って火を消して、消えてゆきます。ちなみに、この扇は「負け扇」といい、波に沈む入日の図柄で、衰退する平家を表しています)