能「杜若」演能のご案内

昨年(2007年)9月、初めて能のシテを「経政」で演じましたが、今年は蔓物といわれる美女(今回は花の精)が主役の能「杜若」のシテを、「綱雄会」社中の発表会で演じます。お時間があればお出かけください。

日時 2008年9月28日(日) 午前11時から
場所 東京都新宿区矢来町60 矢来能楽堂
地下鉄東西線神楽坂駅2分、都営大江戸線牛込神楽坂駅5分
地図 下の図、またはここをクリック
演能時間 約1時間20分
番組表 ここをクリック→bangumi.pdf へのリンク(アクロバットリーダーが必要です)
ご注意 入場は無料です。
写真を撮る際はフラッシュやストロボをを焚かないでください。
ドレスコードはありませんので、気楽な服装でおいでください。
お出での節は10分ほど前にご入館、ご着席ください。
その他 金春流宗家 金春安明師に地頭(地謡のヘッド)を勤めていただきます。また、人間国宝富山禮子師にも仕舞を舞っていただきます。
この1年で鬼籍に入られた学生時代の友人や職場の同僚、知人たちの鎮魂・追悼を兼ねて(勝手)追善として舞たいと考えています。

あらすじ

都の僧が東国行脚の途中、三河の国八橋(愛知県知立市)の杜若に見とれていると、里女(前シテ)が現れ、在原業平のいわれを語る。里女は自分の庵で一夜を過ごすようにとに僧を伴い帰る。僧が寛いでいると、里女は業平形見の初冠(ういかむり)を付け、二条の后の唐衣(からころも)を着て現れ、自分は業平が昔植えた杜若の精(後シテ)であると告げる。そして業平は歌舞の菩薩(普賢菩薩)の現世での姿で、多くの女性と契ったのも衆生済度のためであり、また、心のない草木も業平の歌の力で成仏できたのだと語る。杜若の精は、業平の東下りの様子を舞いながら、草木成仏を感謝しつつ消えてゆく。

    「梢に鳴くは、蝉の空(カラ)衣の・・」    
      (金春流 金春 安明師) 
       (2007年5月第26回大宮薪能で)

解説

この能は「蔓物」または「三番目物」といわれ、若い女性や動植物の精が主役となる能です。女性が主役となるものとして「熊野」や「玉蔓」「松風」があり、動物の精では「胡蝶」があります。
世阿弥の女婿、金春禅竹の作といわれていますが、世阿弥という説もあります。曲のモチーフは在原業平の生涯を和歌で綴った「伊勢物語」の第九段(東下り)を中心に、二条の后(藤原高子)との恋愛、妻(紀有常の娘)への思慕、歌舞の菩薩の化現として多数の女性との契りと女人済度などが絡らんだ多重的な構成です。
「物着」で里女が初冠と唐衣をつけることで杜若の精に変身しますが、冠には追懸(おいかけ)という馬の目隠しのような飾りをつけます。この飾りは身分の低い貴族(業平は朝臣で4位下)がつけたもので、業平が主役の「雨林院」「小塩」でも使われます。
また、唐衣として菱模様(業平菱といいます)の長絹(ちょうけん)を着ますが、里女で出てくるときは唐織(からおり)という豪華な着物を着ています。長絹を羽織った後、この唐織を脱ぎます。
面は「小面」、手には杜若の絵が描かれた中啓(ちゅうけい)という扇を持ちます。

全体にゆったりした曲調で、囃子に太鼓も入り、華やかに舞います。同じく伊勢物語からは「井筒」という、妻(紀有常の娘)の思慕をテーマとした能があり、こちらは太鼓が入らず、しっとりとした曲です。

初冠と追懸


唐衣

見どころ・聞きどころ・苦労どころ


見どころは、45分過ぎくらいから
杜若の精が業平の東下りを回想して舞うクセ「しかれども世の中の、一度は栄え、一度は衰える・・・」から、序の舞があり、更にキリまで続く長い舞。始めはゆったりと舞いますが、徐々にテンポは速くなります。

聞きどころ
なんといっても業平の和歌。伊勢物語にははっきりと業平作といわれる歌が34首入っており、能にも取り込まれています。
唐衣、着つつ馴れにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思う(九段)〜やがて馴れぬる心かな
いとどしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくもかえる浪かな(七段)〜信濃なる浅間の嶽に立つけぶり、おちこち人の見やはとがめぬ(八段)〜妻しあるやと思いぞ出る都人
とぶ蛍、雲のうえまで去ぬべくは、秋風ふくと仮に現れ(四十五段)〜月やあらぬ、春やむかしの春ならぬ、わが身ひとつはもとの身にして(四段)〜はるばる来ぬる旅衣、着つつや舞をかなずらん

苦労どころ
業平といえば、「色好み」。高貴な生まれで、顔立ちも良く、また六歌仙といわれるほど和歌の道にも秀でていたため、現在ならまさしくアイドル。まさに私の対極にある人物。さて、杜若の精=二条の后になり切れば業平に迫れるでしょうか。また、謡出しでは、囃子方と合わせなくてはならず、鼓の打ち方や音曲を知らないとなかなかうまく合いません。

矢来能楽堂 地図

謡詞

ワキ これは都方より出でたる僧にて候。
我いまだ東国を見ず候ほどに、只今思い立ちて東国行脚と心ざし候。
ゆうべいうべの仮枕。ゆうべいうべの仮枕。
宿はあまたにかわれども、同じ浮き寝の美濃のおわり。
三河の国に着きにけり。三河の国に着きにけり。
急ぎ候ほどにこれは早や。三河の国、八橋とかや申し候。
又これなる澤の杜若。今を盛りと見えて候ほどに。立より眺めばやと思い候。
げにや光陰とどまらず春すぎ夏も来て、草木心なしとは申せども、時を忘れぬ花の色。かおよ花とも申すやらん。あらうつくしの杜若やな。
シテ のうのう、旅人は何とてその澤には休らいたまい候よ。
ワキ さん候、これなる澤の杜若に眺め入りて休らい候よ。
シテ さすがにこの八橋の杜若は、古歌にもよまれたる名におう花の名所なれば、色も一入濃紫の、なべての花のゆかりとは思いなぞらえ給わずして、とりわき眺め給えかし。
あら、心なの旅人やな。
ワキ げにげにこの八橋の杜若は、古歌にもよまれけるとなりさりながら。いずれの歌人の言の葉やらん承りとうこそ候え。
シテ これは在原の業平の歌にあり。伊勢物語にいわく。三河の国八橋という所に至りぬ。
ここを八橋とは水ゆく河の蜘蛛手なれば。橋を八つ渡せるなり。その澤に杜若いと面白く咲けり。ある人この杜若という五つ文字を句の上におきて、旅の心をよめといいければ、
唐ころも、着つつ馴れにし妻しあれば、はるばる来ぬる旅をしぞ思う。これ在原の業平の、この杜若をよみし歌なり。
ワキ あら面白やさてはこの、東のはての国々までも業平は下り給いけるか。
シテ こと新しき仰せかな。この八橋のここのみか、なおしも心の奥深き。名所名所も名のごとく。
ワキ 国々所は多けれども、とりわき心の末かけて
シテ 思い渡りし八橋の
ワキ 三河の澤の杜若
シテ はるばる来ぬる旅をしぞ
ワキ 思いの色を世に残して
シテ 主は昔に業平なれど
ワキ かたみの花は
シテ 今ここに。
地謡 在原の跡なへだてそ、杜若。在原の跡なへだてそ、杜若。
澤辺の水の浅からず、契りし人も八橋の、くもでに物ぞ思わるる。
今とても旅人に、昔を語る今日の暮れ。やがて馴れぬる心かな。やがて馴れぬる心かな。
シテ わらわが庵の候に立ち寄りて一夜をおん明かし候え。
ワキ あらうれしやさらばこう参り候。
(物着−冠を付け、長絹を着る)
シテ のうのう、これなるかむり唐きぬご覧候え。
ワキ ふしぎやな、いやしき賤がふし戸より、色もかかやく衣をき、透き額の冠を着し、これを見よと承るは、何と言いたる事やらん。
シテ これこそ歌によまれたる唐衣。たかき子の后の御衣にてさむらえ。又この冠は業平の、豊のあかりの五節の舞の冠なれば、形見の冠から衣。身にそえ持ちて侍うなり。
ワキ 冠から衣はまずまずおきぬ。さてさておん身はいかなる人ぞ。
シテ 今は何をかつつむべき。われは杜若の精なり。
植えおきし昔の宿の杜若と。よみしも女の杜若に。なりし謂れの心なり。
又業平は極楽の。歌舞の菩薩の化現なれば、よみおく歌の詞もみな、発心説法の妙文なれば、草木までも露の恵みの、佛果の縁を弔うなり。
ワキ これはふしぎの御事かな。まさしき非情の草木に、詞をかわす法の声。
シテ 佛事をなすや業平の、昔男の舞のすがた。
ワキ これぞ則ち歌舞の菩薩の
シテ かりに衆生と業平の
ワキ 本地寂光の都をいでて
シテ あまねく済度
ワキ 利生の
シテ 道に
地謡 はるばる来ぬるから衣。はるばる来ぬるから衣。着つつや舞をかなずらん。
(地取り)はるばる来ぬる唐衣。着つつや舞をかなずらん。
シテ わかれこし、あとの恨みの唐衣。
ワキ 袖を都にかえさばや。
(イロエ)
そもそもこの物語はいかなる人の何事によって、思いの露の忍ぶ山。
しのびて通う道芝の初めもなく、終わりもなし。
シテ 昔男、初冠して奈良の京、春日の里にしるよしして狩にいにけり。
ワキ 仁明天皇の御宇かとよ。いともかしこき勅をうけて、大内山の春霞、たつや弥生のはじめつかた。
春日の祭りの勅使として、透き額のかむりを、許さる。
シテ 君の恵みのふかき故。
地謡 殿上にての元服のこと。当時その例まれなる故に、うい冠とは申すとかや。
しかれども世の中の、一たびは栄え、一たびは衰うる理りの、まことなりける身のゆくえ。
住みどころ求むとて、東の方にゆく雲の、伊勢や尾張の海づらに立つ波を見て、
いとどしく過ぎにしかたの恋しきに、うらやましくもかえる波かなと
うち眺めゆけば信濃なる、あさまのだけなれや。くゆる煙の夕げしき。
シテ さてこそ信濃なる、浅間のだけに立つ煙。
地謡 おちこち人の見やはとがめんと口ずさみ、なおはるばるの旅ごろも。三河の国に着きしかば、
ここぞ名にある八橋の澤辺に匂う杜若。花むらさきのゆかりならば、つましあるやと思いぞいずる都人。
そもそもこの物語、その品多きことながら、とりわきこの八橋や。
三河の水の底いなく、ちぎりし人々のかずかずに名をかえ品をかえて、人まつ女。
もの病み玉すだれの、光も乱れてとぶ蛍の、雲の上まで行くべくは。
秋風ふくとかりにあらわれ、衆生済度のわれぞとは、知るや否や世の人の。
シテ くらきに行かぬ有明の
地謡 光あまねき月やあらぬ、はるや昔の春ならぬ、わが身ひとつはもとの身にして
本覚真如の身をわけ、陰陽の神といわれしも、ただ業平の事ぞかし。
かように申す物語、うたがわせたもうな旅人。はるばる来ぬるから衣、きつつや舞をかなずらん。
シテ 花前に蝶舞う、ふんぷんたるゆき。
地謡 柳上に鶯とぶ、へんぺんたるきん。
(序の舞)
シテ 植えおきし、昔の宿のかきつばた。
地謡 色ばかりこそ昔なりけれ。色ばかりこそ昔なりけれ。
シテ 昔男の名をとめし、はなたちばなの匂いうつる。あやめのかずらの、
地謡 色はいずれぞ
シテ 似たりや似たり
地謡 かきつばた花あやめ、梢になくは、
シテ 蝉のからころもの
地謡 そで白妙の卯の花の雪の、夜もしらしらとあくるしののめの、
あさむらさきのかきつばたの、花もさとりの心ひらけて
すわや今こそ草木国土。すわや今こそ草木国土。
悉皆成仏のみ法をえてこそかえりけれ。