毎年早くなってゆく桜の開花。今年(2009年)は東京が3月21日と平年より7日も早く花をつけました(この分ではその内2月に花見ということも?)。幸い、3月末の寒の戻りで花が長持ちし、関東地方の満開は4月初旬となりました。お陰で満開の桜の下で記念写真を撮ることができた新入生・新社会人も多かったのではないでしょうか。日本では入学式や入社式などの通過儀礼は4月が一般的ですが、これは明治政府が150年ほど前に会計年度を4月に決めたため。
「門出」は若い人だけの専売でなく、大日本地図を作った伊能忠敬のように退職(隠居)後に学問に入った人も。何歳になっても新しいことに取組むのは元気が出るものです。私も還暦を過ぎ第3の人生に入りましたがまだ世間のお役に立てそうなことがありそうです。
さあ、錨を上げて、ヨウ、ソロ、 ・・・・ 今回は旅に因む花々を紹介します。
錨草 (イカリソウ) 薄紫の花弁に長さ 2 センチくらいの距(きょ)があり,その姿が船の錨に似ているところから。また、茎や葉を乾燥させたものは淫羊霍(いんようかく)という強壮強精の生薬になります。 (世田谷区砧公園) (逆にした錨マーク) |
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錨は停泊中の船が流されないように繋ぎ止める重要な船具。荒れた海でしっかり船を繋ぎ止めるところから「庇護」「保護」「安全」に喩えられます。「錨をおろす」−それまで浮ついた生活をしていた男性が(女性に篭絡されてしまい)安定した家庭生活に入ること。さすればこの爪は生活を守る鉄の爪かもしれません。 英語ではアンカー(anchor)。リレーの最終走者(泳者)やその日最後のニュースキャスターをアンカーパーソンというのは、綱引きの最後尾の人が引きずられまいとして足を踏ん張る姿が船の錨に似ていたことから来たものです。 行進曲「錨を上げて」は1906年にアメリカ海軍の中尉であったチャールズ・ツィマーマン (Charles A. Zimmerman)が作曲。事実上のアメリカ海軍軍歌。(曲はココをクリック) |
錨を上げて船出した船が向かうのは人生の荒海。そこには大波、小波がザッザ〜ンと。 |
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立浪草(タツナミソウ) (世田谷区桜上水) |
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世界史では、波荒い大洋に乗り出して成功を収めたのがオランダ。17世紀前半にはスペインを駆逐して、大西洋からインド洋、そして日本にまで勢力範囲を延ばしました。その原動力となったのは新興の商工業者を中心とする独立・自治の気概でした。 鎖国政策を取った徳川時代、ヨーロッパの国の中で唯一オランダだけが長崎の出島で交易を行うことができましたが、オランダが持ち込んだ植物も多くあります。 |
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和蘭海芋(オランダカイウ) 別名: カラー 南アフリカ原産のサトイモ科の植物。大西洋から喜望峰を廻ってインド洋に乗り出したとき、食料として積み込んだのでしょうか。日本に入ってきたのは江戸時代末。 白いのは仏炎苞と呼ばれる変形した葉です。花は中心の黄色いところ。 英語名カラーはこの仏炎苞が修道尼の襟に見えたところから来たものですが、女子高生のセーラー服にも似たような襟がありますね。 (世田谷区桜上水) |
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和蘭文目(オランダアヤメ) 別名: ダッチアイリス 「いずれ菖蒲(アヤメ)か、杜若(カキツバタ)」と詠われたように、アヤメの仲間は見分けにくいのですが、咲く時期と咲く場所でほぼ見当が付きます。アヤメは4月に乾いた土地に、杜若は5月に水中で、花菖蒲は6月に水辺で咲きます。 和蘭文目以外にも、ジャーマンアイリス、黄菖蒲は外来種です。尤も菖蒲や花菖蒲も古代に中国からわたってきたものですが。 他のアヤメ科の花はこちらをクリック 見分け方はこちらをクリック (世田谷区砧) |
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和蘭菖蒲(オランダショウブ)別名:グラジオラス (渋谷区代々木公園) |
和蘭芥子(オランダカラシ) 別名:クレソン (長野県飯綱町) |
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この他、オランダ芹(パセリ)、オランダ雉隠(アスパラガス)、オランダ苺(イチゴ)、オランダ三つ葉(セロリ)など食用植物に多く名を残しています。食べられない薔薇を愛好する英国人と違って「人生を楽しむ」ことに長けていたのでしょう。 オランダの国花はチューリップ。風車を背景に赤、白、黄色のチューリップが帯状の絨毯を敷き詰めたような風景写真を見たことがあります。チューリップはトルコが原産で、オスマントルコ時代にヨーロッパに持ち込まれたもののですが、そのとき頭に巻くターバン(チュルバン)の名前を誤って付けたことからチューリップと呼ばれるようになりました。17世紀のオランダでのチューリップバブルは有名ですが、昨年秋に起きた金融危機の元になったデリバティブ取引もこのチューリップ取引から始まったといわれています。まさに歴史は繰り返す。人間は学ばない動物です(嘆息)。 チューリップ 別名: 鬱金香(ウッコンコウ) (渋谷区代々木公園) |
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日本では古代〜中世、人々は土地に縛り付けられて移動の自由はなかったようなイメージがありますが、中世学者の網野善彦氏が指摘するように芸能や鍛冶を生業とする遊民・職民が多く存在し、各地を廻っていました(能を確立した観阿弥は静岡で客死)。また、士農工商の身分制が定着した江戸時代でも松尾芭蕉のように奥羽から近畿まで広く旅行した人もいました。 |
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踊子草(オドリコソウ) 花弁は芸能遊民が被っていた笠(下図)のようですね。 能「百万」「柏崎」「隅田川」などは狂女が、狂い踊りながら、子を捜し求める曲です。シテは手に笹を持ちますが、神憑り(笹に神が降りる−御幣と同じ効果がある)を示すものです。 (港区元赤坂東宮御所土手) |
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梅(ウメ) 古代の旅人はその名も大伴旅人(たびと)、万葉集を編纂した大伴家持の父です。大宰帥として九州の大宰府に赴任したことがあるせいか、梅を詠んだ歌が万葉集に収録されています。 我が園に梅の花散る ひさかたの天より雪の流れ来るかも 旅人から下ること180年、菅原道真も大宰府に流されましたが、東風吹かば・・・で京都から梅と松(老松)が飛んできました。 (世田谷区砧) |
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菫(スミレ) 山路来て何やらゆかし、すみれ草(芭蕉) 旅人から下ること約1000年。日本稀代の旅行者、松尾芭蕉が「野ざらし紀行」で詠んだ一句。京都から大津へ抜ける逢坂山の山中で見た菫を、句友の林桐葉の夭逝した娘に擬えて哀悼した句。 ほっこりした春の日向の暖かさが感じられます。 この写真はNPOすみれ葉公園で撮ったもの。毎年春には30種ほどのスミレの展示会が開催されます。 (世田谷区桜丘すみれ葉公園) |
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繁縷(ハコベ) 時代が下って明治になると近代逍遥人(遊子)が現れます。その代表格が浪漫詩人島崎藤村。小諸義塾に奉職中に書いた「千曲川旅情の歌」(落梅集)。 小諸なる 古城のほとり 雲白く 遊子悲しむ 緑なす はこべは萌えず 若草も 敷くによしなし 藤村は西洋文学だけでなく、芭蕉や西行を読みふけったとのこと。旅人の血筋を引いた作家でした。しかし、女性には病的に手が早かった・・・ (千代田区北の丸公園) |
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一人静(ヒトリシズカ) その一方で、旅人になれなかったのが静御前。義経は奥州平泉から、京都、四国屋島、西国壇ノ浦と本州をほぼ巡りまわったのに、都から落ち延びる際、手足まといと吉野で捨て置かれてしまいます。(能「吉野静」)。その時の静には一人のこされた悲しさが浮かんでいたと思います。 尤も、その後、鎌倉に連れて来られて頼朝の前で「静や、静。静が苧環・・・」と舞いを舞わされることになるのですが。 (蛇足:「二人静」という花や能もあります) (世田谷区砧公園) |
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義経・静の時代から、庶民の旅は寺社参りと温泉湯治でしたが、中国でも同じ。ただし、スケールが違います。玄宗皇帝が楊貴妃を伴ってしばしば訪れた華清池(西安の東にある温泉)には、楊貴妃専用の浴槽があります。白居易の「長恨歌」には 回眸一笑百媚生 六宮粉黛無顏色(瞳を廻らせて笑えば百の媚態が生まれ、後宮の美女も顔色なし) 春寒賜浴華清池 温泉水滑洗凝脂(春寒きに華清池に浴す、温泉の水はやわらかに白い肌を洗う) 侍兒扶起嬌無力 始是新承恩澤時(侍女が助け起こすと艶かしくなよなよとして、初めて寵愛を賜る) と詠われています。なかなか色っぽい情景です。 この浴槽は海棠の花に似せて海棠湯と呼ばれています。 |
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華清池 |
海棠湯 ここで楊貴妃が湯を使った |
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海棠(カイドウ) 湯上りの肌のように艶かしく (世田谷区砧) |
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旅をするのは人間に限りません。魚だって鳥だって季節ごとに移動します。特に鳥は、恐竜の時代から大旅行者で、夏に知床半島にやって来るオオミズナギドリは南極海から地球をほぼ半周して来ます。ただ、厄介なことは、こうした鳥たちは、永久凍土の下に何百万年も眠っていたウィルス(恐竜を絶滅させたという説もあります)が温暖化で表層に現れたのを運んできます。いわゆる鳥インフルエンザです。 |
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芹葉飛燕草(セリバヒエンソウ) 春に南から飛んでくるツバメは季節を告げる鳥で、虫を取る益鳥です。幸い冬鳥と違って鳥インフルエンザを媒介しません。しかし、デング熱など熱帯性伝染病も北上を始めていますの、油断はなりません。 飛燕草は葉の形が燕の飛ぶ姿に似ているところから。デルフィニュウムは西洋飛燕草ですが、ドルフィン(海豚)からきています。この花もどちらかというとイルカが船の舳先でぴょん、ぴょんと飛び回っているようです。 (千代田区富士見町市谷土手) |
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鶯蔓(ウグイスカズラ) 海を渡る燕と違って季節ごとに国内を移動する鳥を漂鳥といいます。その代表格が鶯。春先に里に下りてきて「ホーホケキョ」。幼い鳥が「ケキョ、ケキョ・・」と囀りの練習を聞くのも楽しいものです。 (千代田区皇居東御苑) |
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古来、日本人は花をいろいろなものに見立ててきました。生きている花は勿論、散った花にも風情を感じてきました。特に桜ならなお更。普段のどぶ川も、このときばかりは綾錦を着ます。 花筏(ハナイカダ) (千代田区神田川) |
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今年の連休は、豚インフルエンザもなんのその海外旅行した人も多かった(昔エコノミックアニマルと呼ばれた日本人、今ならリゾートアニマルでしょうか)ですが、経済危機の影響か行き先はアジア、グアム、韓国など「安近短」といわれるところが多かったようです。実は、私もグアムに行って来ました。といっても連休中でなく2月末。所属するロータリー2750地区の地区大会が10年ぶりにグアムで開かれたためです。(2750地区はグアム、サイパンなどミクロネシアの国々のロータリークラブが加盟している国際地区で、10年ごとにグアムで開かれています) 大会終了後、島の中央部をぐるっと廻って、フィリピン海と太平洋、そして花々を眺めて来ました。 |
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グアム全図 |
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プルメリア 島のいたるところで見られます。夾竹桃の仲間ですが、とても良い香がします。(ハワイではこの花でレイを作ります) 白い花を多く見ましたが、ピンクの花も可憐です。この花はグアムの北にあるサイパンの国花です。スコールの後だと瑞々しい。 (タモンの虹) |
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鳳凰木(ホウホウボク) 三大花木と呼ばれている木の花のひとつ。熱帯の花は季節がないため、蕾と花と実が一緒にできます。日本でもランタナなど熱帯系の花は冬でも咲きます。季節で開花をコントロールする遺伝子がなくなってしまったのかもしれません。 人間も、今や夏でも冬でも空調を点けっぱなしにしていると季節性の遺伝子を失ってしまします(少なくとも生殖に関しては既に失っていますね)。 その他の三大花木は、火焔木(ここをクリック)とジャカランタです。 (ハガーニャ) |
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この他、トロピカルフルーツの花や野辺の草花、などたくさんの花がありました。このページで紹介し切れませんので、興味のある方は下記の「トロピカルアイランド・グアム島の花々」タイトルか以下のURLをクリックしてください。 html://www.insite-r.co.jp/Flower/2009/may/tropical.html |
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もうひとつの小さな旅で出会った花を。 4月末、LED工場の視察のため、2泊1日でソウルへ行ってきました。ソウルの気温は東京より3〜5度ほど低いため、もう一度春の初めと再会できました。 |
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ライラック 別名: 紫丁香花(ムラサキハシドイ) 気温は日本より低いため、遅くまで咲いています。 |
ムスカリ 白いムスカリを初めて見ました。(日本では奥に見える青紫のムスカリが普通です) |
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最後までご覧頂きありがとうございました。 冒頭触れましたように今年は花が咲く時期が早く、「年年歳歳花相似、歳歳年年人不同」(劉希夷)でありますが、花までが不同になってしまったようです。お陰で牡丹や杜若など春の定番の花々を見過ごしてしまいました。これも温暖化が原因と思います。 そこで皆様にお願いなのですが、温暖化ガス(CO2)の削減に是非ご協力を賜りたいと存じます。 ご自宅(または仕事場)の照明を高効率のLED照明に換えていただくだけで、地球に優しく、お財布にも嬉しいエコ活動ができます。折角もらった「定額給付金」を有効に活用して地球をクリーンにしてください。花々もますます元気にに咲いてくれることでしょう。 ご賛同いただける方は下記に詳しい情報がありますので、タイトルまたはURLをクリックしてください。 エコ照明でエコライフ http://www.insite-r.co.jp/eco/LED/product/home/home_LED.html |
「なに花な?」コーナー
今回もいくつか名前が分からない花がありました。ご存知でしたら教えてください。
例えば・・・
@ | A |
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ウサギの尻尾? |
春の蓑虫?
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B | C |
ムスカリではありません | ボロニアの一種か? |
(画像をクリックすると拡大します) |
「何かな、なに花な?・・・」のページにも不明な花の写真を載せてありますので、もし、ご存じならば教えてください。
ココをクリック、または http://www.insite-r.co.jp/Flower/unkown/