金春流 能「高砂」

演能日時 2024年5月3日(金・祝) 
場所 国立能楽堂   東京都渋谷区千駄ヶ谷4-18-1
演能時間 約1時間20分 
登場人物と演者
(敬称略)
前シテ(老翁)、後シテ(住吉明神):松永秀和
ツレ(姥):村岡聖美
ワキ(友成):野口琢弘、他
アイ(里人):善竹大二郎
大鼓:佃良太郎
小鼓:清水和音
太鼓:吉谷潔
笛:八反田智子
地謡:金春安明、辻井八郎、金春憲和、井上貴覚、中村昌弘、岩間啓一郎
後見:横山紳一、山井綱雄
あらすじ
阿蘇の宮の神主・友成が都へ登る途中、相生の松を見るため、高砂に立ち寄りると、老夫婦が現れ、老いを嘆き、落葉を掻いて松の根元を清める。友成が相生の松はどれかと尋ねると、老人はその木を教え、自分は住吉の者で、妻は高砂の者であるといい、夫婦の間には距離は関係ないという。そして、松の謂れやめでたさを説明する。友成が名を尋ねると、住吉と高砂の松の精だと答え、住吉で会おうと小舟に乗って沖へ出てゆく。






   (中入)

高砂の浦人が現れたので、友成が老夫婦の話をすると、その夫婦は松の精でめでたいことなので、自分の新造船を提供するから住吉に行くようにと勧める。友成一行が月の出とともに小舟に乗り、高砂の浦から一路、住吉へ向かう。
住吉につくと、若い男体の住吉明神が波間から現れ、松の長寿を寿(ことほ)いで颯爽と舞う。そして人々の平安と長寿を願い、悪魔を払って平和な世を祝福するのであった。

鑑賞の手引きと解説は ここをクリックしてください。

演能と詞章 (ここをクリックすると印刷用のPDFが出ます。脚注付き)

登場人物 前シテ-老人(尉)、後シテ-住吉明神、ツレ-老女(姥、尉の妻)
ワキ-阿蘇の神主、友成、ワキツレ-従者、アイ-高砂の里人

 
(ワキ、ワキツレが登場し、舞台へ入る。ワキとワキツレは道行を語る)
ワキ、ワキツレ 今をはじめの旅ごろも、今をはじめの旅ごろも、日もゆくすえぞひさしき
ワキ そもそもこれは九州肥後の國、阿蘇の宮 の神主友成(ともなり)とはわが事なり。われいまだ都 を見ず候ほどに、この春思い立ち都へのぼ り候。又よき序(ついで)なれば、播州(ばんしゅう)高砂の浦をも一見せばやと存じ候
ワキ、ワキツレ 旅衣すえはるばるの都路を
ワキツレ 旅衣すえはるばるの都路を
ワキ、ワキツレ 今日思いたつ浦の浪、ふな路のどけき春風の、いくかきぬらんあとすえも、 いさ白雲のはるばると、さしも思いし播磨がた、高砂の浦につきにけり。高砂の浦につきにけり
ワキ いそぎ候ほどにこれは早や。播州高砂の 浦につきて候。人来って松の謂(いわ)れを尋にょうずるにて候
 
(「真ノ一声」囃子に乗って、シテ(尉)とツレ(姥)が杉帚を持って登場する。
ツレが先に出、一ノ松で止まり振り返る。シテは三ノ松で止まる。シテとツレは向き合って謡う)
シテ、ツレ 高砂の、松の春風吹き暮れて、尾の上の鐘も、ひびくなり
ツレ 波は霞の磯がくれ
シテ、ツレ 音こそ汐の、みち干なれ
 
(シテとツレは舞台に入り、対角に向き合う)
シテ、ツレ 誰をかも知る人にせん高砂の、松も昔の友ならで、過ぎこし世世は白雪の、積り積りて老の鶴の、ねぐらに残る有明の、春の霜夜の起き居にも松風をのみ聞きなれて、心を友とすがむしろの、思いをのぶるばかりなり。
音ずれは松に事とう浦風の、落葉ごろもの袖そえて、木陰のちりを掻こうよ。木陰のちりを掻こうよ。
所は高砂の
ツレ 所は高砂の
シテ、ツレ 尾の上の松も年ふりて、老いの波もよりくるや。木の下陰の落ち葉かくなるまで命ながらえて、なおいつまでか生きの松、それも久しき例(ためし)かな。それも久しきためしかな
ワキ いかにこれなる翁に尋ぬべき事の候
シテ こなたの事にて候か。何事にて候ぞ
ワキ この所において、高砂の松とはいずれの木を申し候ぞ
シテ さん候、高砂の松とは、とりわきこの松を申しならわし候
ワキ さてさて高砂住の江の松に相生の名あり。當所(とうしょ)と住の江とは國をへだてたるに、何とて相生の松とは申すぞ
シテ さん候、古今集の序に、高砂住の江の松も相生の様に覚(おぼ)えとあり。尉(じょう)はあの住吉の者にて候。姥(うば)こそ當所の人なれ。知る事あらば申さ給え
ワキ ふしぎや見れば老人の、夫婦一所にありながら、遠き住の江高砂の、浦山國をへだてて住むというはいかなる事やらん
ツレ うたての仰せ候や。山川(さんせん)萬里(ばんり)を隔(へだ)つれども、互に通う心づかいの、妹背(いもせ)の道は遠からず
シテ まず案じてもご覧ぜよ
シテ、ツレ 高砂住の江の、松は非情の者だにも、相生の名はあるぞかし。ましてや生ある人として、年久しくも住吉より、通いなれたる尉と姥は、松もろともに、この年まで、相生の夫婦となるものを
ワキ 謂(いわ)れを聞けば面白や。さてさてさきに聞こえつる、相生の松の物語、所に聞きおく謂れはなきか
シテ 昔の人の申ししは、これは目出たき世の譬(たと)えなり
ツレ 高砂というは上代の、萬葉集のいにしえの儀(ぎ)
シテ 住吉と申すは今この御代に住み給う延喜(えんぎ)のおん事
ツレ 松とはつきぬ言の葉の
シテ さかえは古今(こきん)あい同じと
シテ、ツレ み代を崇(あが)むる譬えなり
ワキ よくよく聞けば有難や。今こそ不審はるの日の
シテ、ツレ 光やわらぐ西の海の
ワキ かしこは住の江
シテ、ツレ ここは高砂
ワキ 松も色そい
シテ、ツレ 春も
シテ、ツレ、ワキ のどかに
地謡 四海(しかい)波静かにて、國も治まる時つ風。枝をならさぬ御代なれや。あいに相生の松こそ目出たかりけれ。げにやあおぎても、こともおろかやかかる世に、すめる民とて豊かなる、君の恵みは有難や。君の恵みは有難や
 
 (シテはワキに向きいた後、正先に出て、小さく指し開き。左へ廻り大小前へ行き、大きく指し開いた後、ワキを向いて座る)
   
ワキ なおなお高砂の松の目出たき謂れねんごろに申され候え
シテ ねんごろに申し上ぎょうずるにて候
地謡 それ草木心なしとは申せども、花實(かじつ)の時をたがえず、陽春(ようしゅん)の徳をそなえて南枝(なんし)花はじめてひらく
シテ しかれどもこの松は、その気色(けしき)とこしなえにして花葉(かよう)時をわかず
地謡 四の時いたりても、一千年の色雪のうちに深く、又は松花(しょうか)の色十(と)かえりとも言えり
シテ かかるたよりを松がえの
地謡 言の葉草の露の玉、心をみがく種となりて、生きとし生けるものごとに、敷島(しきしま)のかげに、よるとかや
(この部分は謡いません)
しかるに長能が言葉にも、有情非情のその声、みな歌にもるる事なし。草木土砂、風声水音まで萬物をこむる心あり。はるの林の、東風に動き秋の虫の、北露になくもみな、和歌のすがたならずや
中にもこの松は、萬木(ばんぼく)にすぐれて、十八公(しうはっこう)のよそおい、千秋(せんしゅう)のみどりをなして、古今の色をみず、始皇(しこう)のおん爵(しゃく)に、あずかるほどの木なりとて、異國にも本朝にも萬民これを賞翫(しょうがん)す
シテ 高砂の尾の上の鐘の音すなり
地謡 暁(あかつき)かけて、霜はおけども松が枝の、葉色(はいろ)はおなじふか緑、たちよる陰の朝夕に、かけども落葉のつきせぬは、まことなり松の葉のちりうせずして色はなお、まさ木のかずら永(なが)き代の、たとえなりけり常磐木(ときわぎ)の中にも名は高砂の、末代(まんだい)のためしにも相生の陰ぞひさしき。
 
(シテは杉帚を持って立ち上がり、正先に出て、松葉を掃く型をする。右へ廻り、大小前で指し開きをした後、ワキに向かって座る)
地謡 げに名にしおう松が枝の、げに名にしおう松が枝の、老木の昔あらわしてその名を名のり給えや
シテ、ツレ 今は何をかつつむべき、これは高砂住の江の、神ここに相生の夫婦と現(げん)じきたりたり
地謡 不思議やさては名所(などころ)の、松の奇特(きどく)をあらわして
シテ、ツレ 草木(そうもく)こころなけれども
地謡 わが大君の國なれば、いつまでも君が代の、住吉にまずゆきて、あれにて待ち申さんと、夕浪のみぎわ(水際)なるあまの小舟にうちのりて、追い風にまかせつつ、沖のかたへいでにけりや。沖のかたへ出でにけり
 
(シテは立ち上がり、正先に出、船に乗り込む形をして、帆掛け船のようなしぐさで橋掛りへ行く)

中入(シテとツレ、中入り)

(アイが舞台に出て、高砂の松の謂れについて語り、老夫婦は松の精だと教える。ワキに新造船を提供すると、ワキとワキツレは舟に乗って住吉へ向かう)
ワキ、ワキツレ 高砂や、この浦舟に帆をあげて
ワキツレ この浦舟に帆をあげて
ワキ、ワキツレ 月もろともにいでしお(出汐)の、浪(なみ)の淡路の嶋かげや。遠く鳴尾(なるお)の沖すぎて、早や住の江につきにけり。早や住の江につきにけり
 
(「出羽」囃子が鳴り、住吉明神が登場。橋掛に出て謡う)
シテ われ見ても久しくなりぬ住吉の、岸の姫松いく世経(へ)ぬらん、むつましと君は知らずや瑞(みず)がきの、久しき世世の神かぐら、夜のつづみの拍子を揃えて、すずしめ給え、宮づこたち
地謡 西の海、あおきがはらの波間より
 
(シテは舞台に入る)
シテ あらわれいでし住の江の、春なれや、残(のこん)の雪のあさかがた
地謡 玉藻(たまも)かるなる岸陰の
シテ 松根(しょうこん)によって腰をすれば
地謡 千年の緑、手にみてり
シテ 梅花(ばいか)を折って首(こうべ)にさせば
地謡 二月(じげん)の雪、ころもに落つ
 
(シテは神舞を舞う)
   
地謡 有難の影向(ようごう)や。有難の影向や。月すみよしの神あそび、みかげを拝むあらたさよ
シテ げにさまざまの舞びめの、声もすむなり住の江の、松かげもうつるなる、青海波(せいがいは)とはこれやらん
地謡 神と君との道すぐに、都の春にゆくべくは
シテ それぞ還城楽(げんじょうらく)の舞
地謡 さて萬才(ばんぜい)の
シテ 小忌(おみ)ごろも
地謡 指すかいな(腕)には、あくま(悪魔)を拂(はら)い、おさむる手には壽福(じゅふく)をいだき、千秋楽(せんしうらく)は民をなで、万才楽(まんざいらく)には命をのぶ。相生のまつ風、さつさつの声ぞたのしむ。さつさつの声ぞ楽しむ

(シテ、留足を踏み、橋掛を帰り、幕へ入る)
 
(撮影:国東薫氏)

★演能のビデオを作成しました
私が舞った「高砂」を録画したDVDとBD(ブルーレイディスク)を作りました。
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2024.10.18 upload

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